アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。
こうして、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」という聖書の言葉が成就し、そして、彼は「神の友」と唱えられたのである。
さて、この幸福は、割礼の者だけが受けるのか。それとも、無割礼の者にも及ぶのか。わたしたちは言う、「アブラハムには、その信仰が義と認められた」のである。
信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。
これによってピネハスはよろず代まで、 とこしえに義とされた。
そして、アブラハムは割礼というしるしを受けたが、それは、無割礼のままで信仰によって受けた義の証印であって、彼が、無割礼のままで信じて義とされるに至るすべての人の父となり、
すなわち、神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。
彼の心があなたの前に忠信なのを見られて、彼と契約を結び、その子孫にカナンびと、ヘテびと、アモリびと、ペリジびと、エブスびとおよびギルガシびとの地を与えると言われたが、ついにあなたはその約束を成就されました。あなたは正しくいらせられるからです。